甲府地方裁判所 昭和47年(わ)190号 決定 1974年7月15日
申立人(弁護人) 田原俊雄 外二名
主文
検察官は弁護人に対し、証人松崎次男および同宮川和男の検察官に対する各供述調書を昭和四九年七月二三日の本件第一三回公判期日(同証人らの反対尋問期日)の五日前までに閲覧させなければならない。
理由
一 弁護人の本件申出の趣旨理由および検察官の意見は、別紙添付の弁護人作成の証拠開示の申立書および検察官作成の意見書のとおりである。
二 ところで、裁判所がその訴訟指揮権に基き、合理的な理由と必要のある一定の場合に、検察官に対しその手持の特定の証拠を弁護人に閲覧させることを命じる権能を有し、一方、裁判所が右のような証拠開示命令を発したときには検察官がこれに対応する義務を負うに至ることは、昭和四四年四月二五日になされた最高裁判所第二小法廷の二つの決定(昭和四三年(し)第六八号刑集二三巻四号二四八頁、同年(し)第一〇九号刑集同号二七五頁)によつてもあきらかであり、以下同決定に則して順次検討する。
まず、検察官が本件証拠開示を拒否する理由としてあげる罪証隠滅のおそれなど証拠開示に伴う弊害について検討する。
検察官は、この点につき本件はいわゆるマル生運動を推進した国鉄当局およびいわゆる鉄労とこれに抗議する国鉄動力車労働組合いわゆる動労の組織的活動と抗争の過程において発生した一連の暴行などの事件の一部で、しかも証人松崎次男、同宮川和男は鉄労に属する被害者であること、被告人らは本件は国鉄当局と鉄労のデッチ上げ事件であると主張して強く争い動労も組織をあげて強力に支援していること、被告人らと同証人らは面接しうる環境にあることなどからして本件各供述調書の開示に伴う罪証隠滅および証人威迫のおそれがあると主張する。
しかしながら、検察官の主張するような事情によつて、開示に伴う罪証隠滅および証人威迫のおそれが全くないとはいえないとしても、被告人らが右証人らに対し本件起訴後に罪証隠滅や証人威迫などの挙に出た形跡もうかがえないし、本件公訴事実(昭和四七年(わ)第一九〇号)にそう同証人らの主尋問も既に終了している現在、被告人らが本件各供述調書の開示によつてそれがために特に罪証隠滅や証人威迫などの挙に出るおそれは一般的抽象的には考えられても実際は著しく減退しているものといわざるを得ず、他に特段の事情も認められない。
次に本件各供述調書の開示の必要性について検討すると、この点に関する弁護人の主張は、かならずしもその必要性を具体的に示したものとはいえない。
しかし、証人松崎次男および同宮川和男はいずれも被告人山本郁夫の同証人らに対する各暴行事件の被害者であり、他にその犯行状況を目撃した証人も殆んどいないので、同証人らは同事件の最も重要な証人と思料される。同証人らは、昭和四九年六月一八日の本件第一二回公判期日において、検察官の主尋問に対し本件各暴行の訴因の全般にわたり詳細かつ具体的、断定的な証言をしており、検察官からは同証人らに対し検察官に対する各供述調書と実質的に異つた供述がなされたとしての尋問も行われていない。してみると、同証人らの各証言は検察官が同暴行の訴因を立証していくうえで極めて有力な証拠となりうることは明らかであり、同証人らに対する反対尋問を有効かつ適切に行うことが同被告人の防禦にとつて最も重要となることは多言を要しない。ところが同証人らから証人および証言の信用性を弾劾するための反対尋問の資料は、いまだ実況見分調書のごく一部(同意部分)の取調と同証人らの主尋問の他に証拠調も行われていない現時点においては、同証人らの証言の他には殆んど何にも存しないが、同証人らは被告人らに対し敵対関係にあることなどからして、検察官主張のような同証言および証人らの供述態度などからのみでは十分な反対尋問を期待できるかどうか疑問である。したがつて、同証人らに効果的な反対尋問をするためには相当の限度でその供述内容の変遷等必ずしも主尋問にあらわれない事項を資料とせざるを得ず、同証言は本件発生から約二年半近くも経過した後になされていることに鑑み、同証人らの記憶の点から同証人らが本件発生後の比較的記憶の新鮮な時期に検察官に対して述べた本件各供述調書との間にくいちがいを生ずる可能性が大であること、被告人、弁護人側では被告人山本から以外には前記暴行事件につき必ずしも十分な事情聴取ができないことなどを考慮すると、同証人らの本件各供述調書を弁護人にその反対尋問の前に閲覧させることが同被告人の防禦のために重要であるというべきである。
三 以上、その他諸般の事情を考慮すると、本件各供述調書を同証人らに対する反対尋問期日前に弁護人に閲覧させる必要性、重要性がそれに伴う弊害のおそれより優越するものと認められるので、さらに反対尋問のための準備期間などの事情を総合考慮して、検察官に対し本件各供述調書を同証人らに対する反対尋問期日(昭和四九年七月二三日)の五日前までに閲覧させるよう命ずるのが相当である。
よつて、主文のとおり決定する。
「別紙」 証拠開示の申立
一 証拠開示の申立に至る経過
本件事件はいずれも国鉄動力車労働組合が、国鉄当局によつて当時実施されたマル生運動に対し反対闘争を展開中、第二組合である鉄道労働組合との間に生じた組織防衛、団結権擁護に基づく説得活動中の事件である。
ところで検察官は、本件被告人を逮捕し起訴するにあたつて、被害者とされている鉄労の組合員より膨大な供述調書を作成し、本件証拠の開示の申立の対象となつている宮川・松崎両証人からも告訴人調書は勿論、検察官面前の調書を多数作成し、その証拠資料に基づき逮捕・起訴の行為を行つている。被告人らは本件捜査の経過では一切黙秘権を行使し、捜査官に対しては何らの供述調書を作成させていない。にもかかわらず、被告人らを勾留請求却下の翌日に起訴できたのは、証人らの検察官面前における多数の供述調書、それも起訴する以上は、検察官として有罪を確信するに足る程度の明白な各調書があったからにほかならない。
二 証拠開示の必要性
(一) 本件の公判で検察官は、それ以前は勿論のこと、証拠調の段階になつても被害者とされている各証人予定者の供述調書は勿論、それらの供述調書の信用性を裏づける他の人々の供述調書さえ開示しないという常軌を著しく逸脱している行為を行うに至つた。
通常の刑事事件であるならば、検察官は被告人・弁護人の何らの要望がなくても厖大な証拠書類、特に被害者の供述調書や被告人の供述調書を提出してくるのが普通である。
これらの証人予定者の警面・検面の各供述調書を公判前に提出し、弁護人は、公判前にこれらの証拠予定書類を精読して、裁判所が証拠として採否をきめる際に同意不同意をすることができるのである。このようにして、公判の訴訟活動を円滑に進行させることができるし、争点を整理して証人尋問の準備活動もできるのである。
このような検察官の公判前における証拠予定書類を被告人・弁護人に閲覧させることは、公判における当事者主義の訴訟構造を実質化し、双方の攻撃、防禦が始めて円滑に遂行させることができるのである。そうでなければ当事者主義は空洞化し、弁護人・被告人は、検察官の手持ち証拠を何ら知ることなくして公判に臨むことになり、被告人は検察官の「不意打ち」をくうことになる。このため被告人の防禦権が侵害されるのみならず、訴訟は著しく遅延することになる。これを回避するために、公益の代表者である検察官に、公費によつて集めた証拠書類を事前に被告人・弁護人に閲覧、謄写させて、訴訟の対等な進行を図り、憲法で保障する迅速な裁判をうける権利を実質的に保障しているのである。
(二) 次に証拠の事前開示を弁護人の反対尋問権の行使との関係で、証拠の開示の必要性を述べる。
(1) 前述したところから明白なように証拠を事前に弁護人がみることは、その証拠の価値、その証人の事件全体における重要性、位置を知ることになるばかりでなく、その証拠の矛盾点、弱点、他の証拠との関連・矛盾点を十分に熟慮させることになり、これらの検討を十分に行ったうえで、弁護人は公判に臨み、反対尋問権を行使することになるのである。証拠を事前にみることは、単に当該の反対尋問を有効適切に行使できるばかりでなく、重要な事実に対する検察官の主尋問に対する当該証人の答弁の態度等を十分に観察させる機会を与えることにもなる。これらの弁護権の行使を可能にするためには証拠の開示は不可欠なのである。本来、そして検察官が通常事件で行つているように、公判前に供述調書を事前にみせることによつてのみ可能なのである。それ故、本件の申立で要求しているような主尋問終了後、反対尋問前に証拠を開示してほしい旨の要求では、本来の反対尋問の効果をあげることから考えるならば、著しく不適切であり、憲法で保障された反対尋問権の理念からみるならば半分の意義しかもつていないのである。しかし後述する諸般の事情からして万やむなく、本件の申立に及んでいるのである。
(2) ところで、裁判官の一部のなかには証拠の事前開示のもつ、憲法上及び訴訟法上の意義を正しく理解せず、かつ安易に考えて、検察官が証拠を提出しないといつている以上、やむをえないとし、それ故主尋問終了後、証人調書ができてから反対尋問の機会を与えれば、反対尋問権の行使をとくに侵害することにはならないのではないかという意見があるようである。しかしこれは単に、主尋問と同時に反対尋問をやらないで、次回にまわすことで、その間の準備活動を保障するという一つの便法にすぎない。この方法では、単に法廷にあらわれた主尋問をよくよんで、反対尋問をよりよく準備することの意味しかなく、本来、検面調書の事前開示が持つ、被告人・弁護人側の既にのべた防禦権行使の為の種々の利益は何一つ満たされないばかりか、これではいたずらに訴訟が遅延し、前述した反対尋問権の行使は著しく弱められることになる。検察官は豊富な捜査官と金を費して、十分なる証拠に基づいて主尋問を行つているのに、弁護人は全く資料が存せず、検察官の法廷での主尋問にのみ象徴された事実のみを弾劾するのみである。これで有効な反対尋問ができると、あるいは十分な弁護権の行使ができていると考えているとすれば、それは、刑事訴訟法の当事者主義を全く形式的にしか理解してないことになろう。このことは、本件のように無罪を争う事件においては著しく不都合なのである。何故ならば、検察官の主張はフレーム・アツプであり、仮空のものであると争つているのであるから、被告人は、自己が全く体験しない事実を目前の証人がとうとう虚偽の事実を述べているのに、何らの検察官手持証拠さえみせられず、事前の準備も十分にできないままで、どうして反対尋問権を実質的に行使することができようか。自己の経験事実のみをもとにした反対尋問ではそんな事実はないといつても、証人は必死になつてあるというのに決つているのである。これを反対尋問である程度論破するためには、検察官の手持証拠―他の証人予定者の供述調書等―との関連、矛盾点等を事前に十分に閲覧、準備した場合にのみ可能なのである。
三 検察官の不提出に対する反論
検察官は、罪証隠滅のおそれ、証人威迫のおそれがあるということを理由にして、弁護側の証拠開示をかたくなに拒否している。しかしこれらの理由は、次の点で全く根拠がないといわなくてはならない。
(一) 主尋問以前について
(1) 罪証隠滅の点についていえば、検察官は、既に厖大な証拠を収集し、その上で有罪の確信をもって起訴したのであるから、罪証隠滅するおそれといつても、実質上不可能である。逮捕、勾留段階と起訴後の段階では、全く意味が違うのである。つまり前者の場合には、ある程度起訴等を確定するために、証拠の散逸等をさけるいみで、罪証隠滅の口実はなり立つ場合があつたとしても(現実には、あまり意味がない場合が多いが)、有罪を確信するに足る証拠をあつめての起訴後では、それは全くなり立たない。また被害者は、被告人所属組合とは、敵対関係にある鉄労の所属であつて、働きかける余地はないというべきである。そして、被告人らに罪証隠滅的行動は皆無なのであるから、そのことからいつても検察官主張は理由がない。
(2) 証人威迫についても、成程、起訴事実にはかかる罪名があるが、かかる事実が果たして証人威迫といつているかどうかは、実は大変問題があるところであつて、そのことは、勾留の際の裁判所の判断によつても、十分裏付けられるところである。したがつてこの事も、証拠開示を妨げる理由としては、なり立たないというべきである。
(二) 主尋問終了後について
(1) 主尋問が終了した現在、罪証隠滅については、全くその理由を失なつたといつてよい。
つまり、検察官が隠滅の対象としておそれていた、被害者の供述は、既に裁判所へ主尋問という形で確定的に顕出されているのであつて、これ以上罪証隠滅の余地は全くないのである。このいみで、主尋問前とは全くいみが違うのである。
(2) 証人威迫についても、本件起訴後、被告人らによるかかる行動は全くないのであつて、このような理由で主尋問終了後も、証拠を開示しない理由は、全く消滅したというべきである。
(三) いずれにしても、既にのべたように、主尋問終了後も、検察官が証拠を開示しない理由は全く消滅したといつてよい。それにひきかえ、証拠開示を行なわないことによる、被告人・弁護人側の防禦権行使に与える影響、あるいは反対尋問を次回まわしにすることによる訴訟の遅延、あるいは証人に反対尋問の準備を十二分にさせる結果、反対尋問権行使の実効性を失なう等々のことを考えれば、当然現時点では、検察官は速やかに証拠開示をするべきである。まして、一般事件において行なわれている証拠事前開示の原則、少くとも、労働公安事件についても、主尋問終了後は証拠を開示しているのが、全国各地の通常の例であることからいつても、まして本件と同じ背景要因をもつマル生関連刑事事件について、東京地裁その他で、おそくとも主尋問終了後はその証拠を開示していること等を併せ考えれば、本件のみで特に現段階でなおかつ証拠を開示しない理由は、全く見当らないのである。
裁判所は、速やかに証拠開示の命令を為すべきである。
被告人山本郁夫他四名の傷害等被告事件につき、弁護人の証拠開示の申立に対する意見書
弁護人らは、右被告事件の証人宮川和男、同松崎次男の検察官に対する各供述調書の開示の申立をしたが、右申立は、つぎのような理由によりその理由がないものと信ずる。すなわち、
本件一連の事件は、いわゆるマル生運動を推進した国鉄当局および鉄道労働組合(以下鉄労と略称)に抗議する国鉄動力車労働組合(以下動労と略称)の組織的活動の中で生じた事件であり、右二名の証人は、鉄労に所属するものであつて、本件では被害者の立場にあるものである。
被告人らは、いずれも動労に所属するものであつて、本件起訴事実の全部について、これは、いずれも官憲と国鉄当局および鉄労が仕組んだデッチ上げた事件である旨の主張をして強く争つており、かつ、動労も組織を上げて右被告人らの主張に添つた線で強力に被告人らを支援しているものと思われる。
ところで弁護人が、右二名の検面調書の事前開示を求める骨子は、同人らの反対尋問を効果あらしめ、その防禦権を適正に行使するためにあるとの趣きであるが、検察官は弁護人らが右検面調書を事前に閲覧しなければ同人らに対する反対尋問を効果的になしえないものとは思わない。すなわち、同人らの主尋問に表われた供述内容あるいは供述態度を検討し、また当該証人の被害事実の真偽について知悉しているはずの被告人との間で十分に事前準備をなしておけば反対尋問は十分に可能であると思料されるし、それが刑事訴訟法の精神であると思料される。
検察官としては右のように思料するとともに、若し右検面調書を開示した場合、本件が組織を背景にしたものであること、被告人山本について、傷害事件の被害者のうちの一人に威迫を加えている事実があること、(弁護人は、証人威迫の事実の成否自体問題があると主張されており、もちろん、その成否については、公判審理の経過の中で明らかにされることであるが、被告人山本が、その疑いをもたれる行為に出ていたことは十分推認できるところである。)被告人らが、右二名と面接しうる環境にあること、被告人らは、本件について全面的に争つていることなどの諸事情に鑑みれば、捜査段階において、同人らが被告人の名前を挙げて具体的な犯行状況を供述したことなどを理由に、再び被告人らが、同人らに威迫的な言動に出、あるいは、供述変更等の罪証隠滅の働きかけをなすおそれなしとしないのであつて、このようなおそれがある以上右供述調書を開示するわけにはいかない。